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ほいくえんで肉の話を


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 福岡に行く予定ができて、知人の保育園をちょっとのぞこうと連絡したら

 「肉の話を子どもたちにしてくれませんか?」と返ってきた。

 え?頭の中が真っ白になった。

 どんな考えでそんな言葉が出てきたのかわからないが、

 私はこれまでのトークイベントと同じようには考えられなかった。

 大人も子どもも基本は同じだと思っているけれど、

 言葉はまだ初心者だし、文字なんてまったく意味がない。

 そういう子たちに、どう伝えるか? と考えたとき、

 頭の中が急に動きだす感じがあって〝あ、やってみようかな〟と思った。



 漠然と〝語り〟だと直感して、写真の紙芝居が頭に浮かんだ。

 準備が大変だろうと、園長の酒井さんはスライドを勧めてくれたけど、

 子どもたちとの距離感や、明るい場所で手持ちでできる紙芝居でいこうと決めた。

 当日朝まで、写真選びや話す要素をあれこれ考えて悩んだけれど、

 保育園に入れば肝が据わって、ライブ感覚でいこうと吹っ切れた。


 ただの楽しい紙芝居じゃない。

 だから、聞いてもいいし、聞かなくてもいい。途中で抜け出してもいい。

 子どもたちがおのずと選べる雰囲気づくりをしたいと伝え、

 保育園の先生たちも一緒に空気をつくってくださった。


 お昼寝から起きだした子どもたちとおしゃべりしてたら、

 みんな人懐っこい。保育士さんや大人への信頼が感じられて、

 話せそうな気がしてきた。少しずつみんなが部屋の中心に集まっていた。


 「お肉は何でできているか知ってる?」


 年長の子たちから、次々と元気な返事がかえってきた。

 「動物の命なんだよ」

 「だから〝いただきます〟を言って食べないといけんよ」

 「命をいただいてるんだよ」

 私は感心してしまった。保育園や家でそうした会話があるのだろう。

 小さい子たちは様子を見守るように、年長の子や私の顔をかわるがわる見ていた。


 私はちいさく深呼吸して、東京から長崎に引っ越してきたところから語りはじめた。

 『山と獣と肉と皮』の序章を中心とした私の体験。

 なるべく簡単な言葉を選び、「長崎なら知ってる!」「細い道ってどのくらい?」

 という子どもの言葉が嬉しくて、会話をしながら、しょっちゅう脱線しつつも、

 「ねえ聴いて、私このときこう思ったんだよ、それでさ……」と、続けた。

 みんなだんだん真剣な顔つきになって、写真を指差して、質問も増えて。

 私の語りが、子どもたちに受け取られていく実感があった。


 肉から料理の写真をつかって、いつもおいしく食べてきたことを繰り返し伝えた。

 本では言葉だった〝おいしく食べてきた〟をなるべく目に見えるように。

 そして、「これで今日のお話は終わりです」と言って、私は話を終えた。


 が、すぐ何人かが集まってきて、次々と質問をして、

 一斉に答えられず、ひとりひとり順番に聞いて答えていた。

 紙芝居は終わったけど、子どもたちとの会話はなかなか終わらなかった。


 私は、体験を語るだけで終えたのだった。

 最後にまとめることもなければ、オチもない。

 とはいえ、それでも〝今も元気に家族で暮らしています〟と言っているのだから、

 べつに悪い終わりではなかっただろう。

 実際、半分ぐらいの子は「そうかよかったね」という感じで終わったと思う。

 最後までワイワイ盛り上がってもいたし、笑顔で「おもしろかった」と言った子もいた。

 ただ、〝今もシシ肉(殺した猪や鹿)を食べて暮らしている〟ということに、

 どこか消化不良のような引っ掛かりが残って、ここで終われないと

 感じた子たちが私の元に集まってきていたのではないだろうか。

 そういえば、私の周りに集まっていた子たちは、最初のときに

 「動物の命なんだよ」「だから〝いただきます〟を言って食べないといけんよ」

 などと元気に言っていた子たちだった。

 子どもたちの消化不良はなんとなくわかってはいたけれど、

 彼らの質問に、私は誠実に答えることしかできなかった。

 誠実に答えると、すわりのよいまとめの言葉にはならない。


 Kくんが言う。

 「ねえさ、もしもさ、あのイノシシがこの子(目の前の3歳くらいの子を指して)

 ぐらいだったとしてさ、あづささんがそのお母さんだったとしたらさ、

 どんなきもち?やっぱりかなしいでしょ?殺さないでほしいでしょ?」


 私と同じことを感じるKくんの気持ちが痛いほどよくわかった。

 「うん、そうそう!私もそう思ったんだ。私の子どものだったら、って思って、

 殺されるとき、私まですごく苦しくなった」

 Kくんは、少しホッとしたような顔をした。私は続けて言う。


 「でも、私がその野菜をつくっている人だったらと思ったこともあるんだ。

 野菜が売れなくてお金がもらえないと、どうやって生きていけばいいのかなって」


 「おじさんはちいさい鹿はかわいそうで逃したことあるでしょ。

  でも、お兄さんやお姉さん猪も可愛いそうだよ。おとなの猪だけ殺せばいい」


 「猪はすぐに大人になるみたいだよ。小さくても大きくても畑を荒らすんだって。

  私は小さい猪が殺されるときも大きい猪が殺されるときも、同じくらい悲しかった」


 私は自分の言葉で言えることしか言わなかった。

 Kくんは一貫して猪を擬人化していた。

 人が動物に心を寄せることの当然を、あらためて感じた。

 そのあとも会話は重なり、彼の思考は深まっていくようだった。


 最後の最後まで私の服を掴んで話していたKくんは、

 私が帰る頃になると「絵を描きたい」と言いだし、

 先生も「うん、描きな、描きな」と画材を出してあげていた。

 イノシシを描く彼の絵を、完成まで見届けることはできなかったけれど、

 彼との会話は私の中で今も響いてる。


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 こんなことができたのは、

 子どもたちの心を全力でフォローしてくれる保育士さんたちがいたからだった。

 いふくまち保育園の園長・酒井咲帆さんは、写真家でもある。しかも同世代。

 よくもこんな、ある意味、博打みたいな(?)依頼を私にしてくださったなと思う。

 でも、やってよかった。頭が真っ白になってよかった。

 ありがとう。


 最後、酒井さんに念押しするように

 「あの子の心を傷つけたかもしれないので、どうかフォローよろしくお願いします」

 と手を合わせながら言うと、

 酒井さんは「大丈夫です!」と明るく応えてくれた。

 ありがたくて、私の心はあたたまった。



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 俵万智さんの最新の歌集『未来のサイズ』にこんな歌がある。


 〝青ざめて胃の腑おさえる男の子 心豊かに今日は傷つけ〟


 保育士さんが後から教えてくれた。最後まで私にくっついて話していたKくんは、

 「うれしい話はお腹があったかくなるけど、悲しい話はお腹が冷たくなる。

  いまはそう」

 と、言ったという。私は俵さんの歌が反射的に思い浮かんだ。


 〝心豊かに今日は傷つけ〟の裏側には、その心を支え優しく包むまわりの人がいる。

 ただ心傷つけるものを避けるだけでなく、豊かに傷つきながら、

 明日も生きていく子どもの力を信じたい。

 俵さんもそうした思いで詠まれたのかなと思った。



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 『未来のサイズ』ほぼ毎日ひらいてる。

 生きた心がぎゅうっと詰め込まれた一冊。

 いまをとらえ、未来へとはなつ言葉の力に、圧倒される。






















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by adusaadusaadusa | 2020-11-06 22:20

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by 繁延あづさ